BREAK001 : 我々の町、下関はこういうところです
今回は少し趣向を変えて、海外のお客様のために、旭洋造船がある下関市をご紹介しましょう。
日本は大きく分けて5つの島で形成されており、北からそれぞれ北海道、本州、四国、九州、沖縄と呼ばれています。わがふるさと下関市は、本州の最西端の県である山口県のまた最西端の市であり、僅か1km幅の関門海峡を隔てて九州と隣接しています。
人口は約25万人で山口県最大、気候は比較的温和で天災も少なく暮らしやすい土地です。旭洋造船は昔、城下町として栄えた長府地区の海沿いに所在しています。
下関市の産業といえばまず水産、港町なので魚市が朝、昼とあり、新鮮な魚介類には事欠きません。特に有名なのは天然フクの水揚げで全国の約8割を占めています。もし日本全国の人にアンケートを取って下関で連想するものは何かと聞いたなら、大多数の人がフクと答えることでしょう。日本人はこのフクを刺身、鍋料理、揚げ物など様々な料理法で賞味しますが、冬期限定のいわゆる高級高価料理なので下関市民といえども我々庶民にはなかなか手が届かないのが現状です。天然物のトラフク(最も高価で美味!)ともなると筆者もここ数年食べた記憶がありません(^_^;)。
閑話休題。下関はまた歴史の街でもあります。
古くは12世紀、当時日本の二大勢力であった武家集団、源氏と平家が覇権をかけて永きに渡り抗争を繰り返してきました。そしてこの下関の関門海峡がその戦いの終焉の地となったのです。世に言う「壇ノ浦の合戦」、敗者となった平家の擁立していた8歳の安徳天皇(かつての総大将清盛の孫)は祖母(清盛の妻)に抱きかかえられ関門海峡に入水され、生き残った平家一門の武将や女官達も次々に入水、ここに栄耀栄華を誇った平家の時代は終わりを告げました。
この安徳天皇や平家武将の御霊を弔うために建造された赤間神宮は下関観光名所のひとつとなっています。毎年5月に行われる「先帝祭」は多くの観光客を集めています。
ギリシア生まれの英国人作家で日本に帰化したラフカディオ・ハーン(1850~1904/日本名:小泉八雲)は、この平家没後の伝奇談から「耳なし芳一」という恐怖の物語を創作しました。この著書「怪談」は今でも古典として読み継がれています。怖~いお話です!英語版が出版されていますのでご一読くだされば、下関の名前が出てくるのも確認いただけます。
この先もっともっとご紹介したいのですが紙面も尽きましたので続きはまたの機会にしたいと思います。ふるさと下関のご紹介~その2~をお楽しみに!(時期未定ですが…
[Photo & Text by Singer-song-webmaster T. Miyoshi. 2003/06/10]